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昔話『About A ××××』14

前回のあらすじ

私はもう笑わない。



TとR。

ジャイアンのように理不尽で強引だけど情に厚いT。

ソース焼きそばみたいな顔のくせに女にもてもてのR。

二人は私の友達です。

親友といっても過言ではありません。

しかし私は彼らのことを信じていません。

私はあの日から愛想笑いしかできなくなりました。

同時に人を信用できなくなりました。

それがたとえ家族でも友達でも親友でも変わりません。

私「面倒くさい……」

TとRには申し訳ないと思っています。

それでも私は人を信じるのが怖いのです。

まったく面倒くさい性格をしていると自分でも思います。

T「なに一人で感傷にひたってんだよ」

両手にバンダナを巻いたTがやってきました。

秋葉原に生息するオタクたちでもバンダナを両手に巻くという考えはなかったでしょう。

まあ、Tが両手にバンダナを巻いているのはファッションのためではありません。

殴る時に手を傷つけないためです。

私「屋上から見える景色を鑑賞してたんだよ」

私は愛想笑いを浮かべて言いました。

T「馬鹿。つまんねーよ」

私「だよね」

私はまた愛想笑いを浮かべました。

あの日の笑顔は本心から出たものだったはずですが、あれから一度も本心から笑えていません。

まあ色々考えても仕方ないので、そんなものだと思っておきましょう。

奇跡というやつはそう何度も起こっていいものではありません。

T「そんなことよりボクシングやろうぜ」

私「うん。すぐ行く」

私は足元にある街の風景を眺めます。

横断歩道をせわしなく渡る人々。

近所の小さな工場から出る煙。

黒い左ハンドルの車。

その近くにいる派手な服を着た男。

私「……」

後ろを振り返ると、Tが仮想の敵を相手に闘っています。

喧嘩ではなくボクシング、の真似事のようなものです。

TとRは私と知り合う以前からやっていたそうです。

最近は私もボクシングの真似事のようなものをしています。

とても楽しいです。

けれど、ここでの「楽しい」はどういう「楽しい」なのでしょうか。

ボクシングという競技を体験することが楽しいのか。

ボクシングという競技で人を殴ることが楽しいのか。

どちらが正しいのでしょうね。

屋上の柵から手を離し、私はTが待つ屋上中央部へ向かいます。

私はあることを思い出しました。

『お前には俺の血が流れている』という死んだ祖父の言葉です。

どちらが正しいのか、その答えは死んだ祖父の言葉が示している気がします。

祖父や父や兄の理不尽な暴力と母の薄汚れた愛想笑いが苦手だったはずなのに、今の私がやっていることは彼らがやっていることと何ら変わりありません。

あれだけ嫌悪していたというのに私と彼らは本質的にいっしょだったのでしょう。

血は争えないってことでしょうか。

どちらにしても笑えませんけどね。

私「Tはなんで闘うの?」

私は聞きました。

T「楽しいからに決まってるだろ」

Tは当然のように言いました。

私「ボクシングが? 人を殴るのが?」

T「どっちもいっしょだろ」

私「え?」

T「ボクシングが好きなら人を殴るのも好き、人を殴るのが好きならボクシングも好き」

私「……」

T「違うか?」

私「うーん……違う、気がする」

今度はRに聞いてみました。

私「Rはなんで闘うの?」

R「闘う男は女にもてるから♪」

私「……そんなことのためかよ」

R「子孫繁栄は大事なことだぜ?」

え、どうしてそういう話になったんですか?

T「馬鹿。お前は難しく考えすぎなんだ」

R「楽しいからやる。もてたいからやる。理由なんてなんでもいいじゃん♪」

私「……うん」

私は笑えません。

しかし私の日常は面倒くさくても楽しいものでした。

面倒くさいけれど楽しい日常がこれからも続きますように――と願っておきましょう。

私「今日は勝つよ。無敗のチャンピオンの膝をつかせてやる」

T「馬鹿。倒れないから無敗なんだよ」

R「始めるよー。カーン!!」

私は一歩前に足を踏み出しました。

おわり。

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